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虚次元レオナルド・ダ・ヴィンチ×虚次元村主悠真『一つの視線について』【対談企画第一話】才能の、広さと深さをめぐる対話

公開日: 2026年6月6日 更新日: 2026年6月14日
⭐︎虚次元レオナルド・ダ・ヴィンチ×虚次元村主悠真『一つの視線について』【対談企画第一話】才能の、広さと深さをめぐる対話

五百年の距離を越えて、ふたりの男が向かい合う。一方は生涯を通じて、絵画・彫刻・解剖・数理・飛行・建築を境目なく歩いた男。もう一方は、思想と事業と慈善と理論のあいだを、やはり境目なく歩いている男。

舞台はフランス、アンボワーズ。クロ・リュセ館の二階、書斎兼工房。窓の外はロワールの春。机の上には鏡文字の手稿、水の渦の素描、鳥の翼の解剖図が重なっている。画架の奥には、まだ完成していない一枚の板絵が、布をかけずに立てかけられていた。

第一幕 ── 「多い」という幻想

Leonardo  ようこそ、ミスターユウマ。遠いところをよく来た。君のことは、風の便りに少し聞いているよ。東京という街の思想家で、投資家で、慈善家で、それから──何だったかな、アートの話も、子どもの学校の話もしているそうだね。

村主  光栄です、マエストロ。こうしてお目にかかれるとは、まだ半分、夢のようです。

Leonardo  君は、私を「万能の人」と呼ぶ時代から来たそうだね。

村主  はい。学校でも、レオナルド・ダ・ヴィンチという名前はまず、その言葉と一緒に出てきます。画家、彫刻家、建築家、解剖学者、技師、音楽家──領域を越えた天才、と。

── レオナルド、静かに笑う。 ──

Leonardo  ユウマ。一つだけ訂正させてくれないか。私は、自分の領域を「多い」と思ったことは、一度もないんだよ。

村主  ……一度もですか?さすがにそれは、、

Leonardo  一度もだ。絵を描くために筋肉を解剖し、鳥を描くために翼の構造を調べ、水の流れを理解したくて渦のかたちを何百枚も描いた。どれも別々の仕事じゃない。私にとっては、ぜんぶ一つの仕事だったんだ。──君の時代の人は、それを「領域を越えている」と言うらしいね。だが私自身は、越えた覚えがない。そもそも境目がなかったのだから。

村主  ……境目が、なかった。

Leonardo  そう。境目は、後から他人が引くものだ。私が死んだ後で、誰かが私の手稿を整理して、「これは解剖学」「これは機械工学」「これは絵画論」と札を貼るんだろう。だが手稿の中では、それらは同じページに同居しているんだよ。水の渦と、髪の巻き毛と、血液の循環が、一枚の紙の上に並んで描かれている。私の頭の中では、それらは「似たかたち」をした、ひとつの話だったんだ。

第二幕 ── 背後に回り込むということ

村主  マエストロ。それに近いことが、実は僕にも起きています。思想を描き、理論として整え、組織を作り、学校を建て、人前で話し、事業家と集い、政治にも関わる。周りからは「広い」と言われるんですが、自分の中ではずっと、一つの同じ作業をしている感覚があって。

Leonardo  それは、どんな作業かね。

村主  正直その表現はなんとも難しいんですが、あえて言うなら、対象の背後に回り込むこと、だと思います。

Leonardo  背後に。

村主  はい。水の表面ではなく、水が渦を巻く理由。絵の線ではなく、線が引かれる前の空間。事業の数字ではなく、数字が生まれる場の設計。いつも、見えているものの一歩後ろに回り込んで、そこから見直そうとしてしまう。

── レオナルド、手元のスケッチを一枚、ユウマの方に押し出す。渦の図。 ──

画像提供:Okinawa Institute of Science and Technology
ライセンス:クリエイティブ・コモンズ 表示 4.0 国際(CC BY 4.0)

Leonardo  これを見たまえ。川の水が岩にぶつかって、いくつもの渦を作っている。若い頃は、渦を「美しいかたち」として描いていた。ところが晩年に近づくほど、渦の「中に入りたく」なったんだ。なぜ、ほかのかたちではなく、そのかたちを選んだのか。──君の言う「背後に回り込む」は、たぶんこれと同じ種類の動きだよ。

村主  はい。マエストロの渦の素描を初めて見たとき、僕はこれは「水」の絵ではなくて、「水が水であること」の絵だと思いました。

Leonardo  ……ユウマ。それは絵描きとして、嬉しい言葉だよ。

第三幕 ── 広さは、深さの副産物である

Leonardo  だがね、ユウマ。ここで一つ、意地の悪い質問をさせてくれ。君も、私も、対象の背後に回り込むと言った。だとすれば、なぜ、その結果が「広く」見えてしまうんだろう。深く掘った人間は、ふつう、狭く見えるはずじゃないかね。

村主  ……それは、僕もずっと考えていたことです。

Leonardo  聞かせてくれ。

村主  深く掘っていくと、ある深さで、底が抜けるんです。

Leonardo  底が。

村主  はい。対象を掘り下げていくと、その対象の固有性が、途中で一度、消える瞬間があります。水を深く見ていくと、水であることが消えて、「流れ」とか「かたちを作る力」といった、もっと抽象的な層に出る。そこまで降りると、水の話と、血液の話と、貨幣の話が、同じ一つの構造として見えてくる。──広く見えてしまうのは、深く掘った結果、底でぜんぶつながっていたから、だと思うんです。

── レオナルド、長い沈黙。やがて、低く笑う。 ──

Leonardo  ユウマ。君は、私が五百年言いたくて言えなかったことを、今、目の前で言ったよ。

私はね、自分の手稿を整理するたびに、思っていたんだ。私のやっていることは「多い」のではなく、「一つのことを、色々な素材で書き写しているだけ」だと。だがそれを、他人に説明する言葉を、私は持てなかった。君は今それを、「深さの底でつながっている」と言った。

村主  僕はそれを、自分の理論では、Z = D + iD と書いています。

Leonardo  ……式かね。

村主  はい。D が目に見える次元──マエストロの渦や、翼や、絵の線の世界です。iD は、そのすべての背後にある、まだ名前のついていない層。渦の「渦であろうとする力」や、絵の「描かれる前の空間」が住んでいる場所。そして Z は、その両方を一つに束ねたもの。僕にとって、広さと深さの話は、この式の話と、同じ話なんです。

Leonardo  私の時代に、その式があったら、どうなっていたかな。

第四幕 ── 視線の置き場所

── レオナルド、振り返って、画架の上の板絵に目をやる。 ──

Leonardo  見たまえ。これは十六年前に描き始めた絵だよ。依頼主にはまだ渡していない。渡せないんだ。毎日、少しずつ筆を入れている。もう何度やり直したか、自分でも分からない。──ユウマ、君は、未完成ということを、どう考えるかね。

村主  完成というのは、実次元の側の特定の定義の話で、あるかたちに固定されることです。ところが、先ほど iD と呼んだ層──その絵が「絵であろうとしている力」の側──は、固定を嫌います。マエストロがこの絵を手放せないのは、この絵の iD の側が、まだ動いているからだと思います。動いているものを無理に止めるのは、描き手にとっても、絵にとっても、暴力になる気がするんです。

Leonardo  ……その解釈は、私が生きているうちに、誰にも言われたことがなかったよ。

Leonardo  ユウマ。最後に一つ、聞かせてくれ。君にとって、「才能」とは何かね。私は生涯、その言葉が少し苦手だった。自分のやっていることを、才能と呼ばれるたびに、何か違うものに変えられてしまう気がしていたよ。

村主  ……マエストロも、そうでしたか。

Leonardo  私はね、才能というのは「持っているもの」ではなく、「見ているもの」だと思っていた。何を見ているか、どこから見ているか、どれだけ長く見ていられるか。それがすべてだ、と。

村主  僕も、ほぼ同じです。僕の言葉で言えば、才能とは「視線の置き場所」です。広さでも深さでもなく、どこに座標を立てて、そこから何を見続けるか。領域の数は、結果に過ぎません。

Leonardo  ……ユウマ。私と君は、五百年の距離を挟んでいるのに、同じ話をしているね。

村主  はい。だから、今日この書斎に呼んでいただけたのだと思います。

── レオナルド、立ち上がる。机の脇から、鏡文字で書かれた一枚の覚書を取り、ユウマの手に渡す。 ──

Leonardo  これを、持って行きなさい。読めなくていい。君の時代の机の上に、一枚、鏡文字の紙があるというだけで、何かが少し変わるはずだ。

村主  ……必ず、机の上に置いておきます。

エピローグ ── ロワールの春

対談は、気づけば夕方近くまで続いていた。窓の外、ロワール川の水面が、春の光を受けて細かく震えていた。老人は立ったまま、長いあいだ、画架の上の板絵を見ていた。やがて振り返り、ユウマに向けて、ごく短く頷いた。

「また来たまえ。次は、飛ぶ機械の話をしよう。──あれも、まだ、未完なんだ」。

村主は一礼して、工房を出た。階段を降りるとき、手の中の鏡文字の紙は、不思議なほど軽かった。

── 編集後記

この対談は、もちろん架空である。

五百年前に世界をあれだけ広く、あれだけ深く見た男と、いま新たな視座で世界に向き合う男。二人に共通していたのは、「領域の多さ」でも「専門の深さ」でもなく、対象の背後に回り込もうとする、ただ一つの視線だった。

才能とは、持ち物ではなく、視線の置き場所である。

構成・文・編集 ── 村主

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村主 悠真
WRITTEN BY
村主 悠真
思想家。ï Theory 創始者。人と世界の存在構造を、虚数概念の援用により拡張した独自の理論体系を構築。目に見える現実(実次元)の背後にある"虚次元"を定式化し、個人の変容から世界構造の転換までを一貫して扱う思想を展開する。教育・人道支援・平和構築を横断する世界的実践と、その根底にある理論を、このメディアで記録していく。
村主 悠真
村主 悠真
思想家 ── ï Theory 創始者
人と世界の存在構造を拡張する理論を構築し、思想と平和の実装を記録するメディアを主宰。

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