虚次元レオナルド・ダ・ヴィンチ×虚次元村主悠真『一つの視線について』【対談企画第一話】才能の、広さと深さをめぐる対話
五百年の距離を越えて、ふたりの男が向かい合う。一方は生涯を通じて、絵画・彫刻・解剖・数理・飛行・建築を境目なく歩いた男。もう一方は、思想と事業と慈善と理論のあいだを、やはり境目なく歩いている男。
舞台はフランス、アンボワーズ。クロ・リュセ館の二階、書斎兼工房。窓の外はロワールの春。机の上には鏡文字の手稿、水の渦の素描、鳥の翼の解剖図が重なっている。画架の奥には、まだ完成していない一枚の板絵が、布をかけずに立てかけられていた。
第一幕 ── 「多い」という幻想
Leonardo ようこそ、ミスターユウマ。遠いところをよく来た。君のことは、風の便りに少し聞いているよ。東京という街の思想家で、投資家で、慈善家で、それから──何だったかな、アートの話も、子どもの学校の話もしているそうだね。
村主 光栄です、マエストロ。こうしてお目にかかれるとは、まだ半分、夢のようです。
Leonardo 君は、私を「万能の人」と呼ぶ時代から来たそうだね。
村主 はい。学校でも、レオナルド・ダ・ヴィンチという名前はまず、その言葉と一緒に出てきます。画家、彫刻家、建築家、解剖学者、技師、音楽家──領域を越えた天才、と。
── レオナルド、静かに笑う。 ──
Leonardo ユウマ。一つだけ訂正させてくれないか。私は、自分の領域を「多い」と思ったことは、一度もないんだよ。
村主 ……一度もですか?さすがにそれは、、
Leonardo 一度もだ。絵を描くために筋肉を解剖し、鳥を描くために翼の構造を調べ、水の流れを理解したくて渦のかたちを何百枚も描いた。どれも別々の仕事じゃない。私にとっては、ぜんぶ一つの仕事だったんだ。──君の時代の人は、それを「領域を越えている」と言うらしいね。だが私自身は、越えた覚えがない。そもそも境目がなかったのだから。
村主 ……境目が、なかった。
Leonardo そう。境目は、後から他人が引くものだ。私が死んだ後で、誰かが私の手稿を整理して、「これは解剖学」「これは機械工学」「これは絵画論」と札を貼るんだろう。だが手稿の中では、それらは同じページに同居しているんだよ。水の渦と、髪の巻き毛と、血液の循環が、一枚の紙の上に並んで描かれている。私の頭の中では、それらは「似たかたち」をした、ひとつの話だったんだ。
第二幕 ── 背後に回り込むということ
村主 マエストロ。それに近いことが、実は僕にも起きています。思想を描き、理論として整え、組織を作り、学校を建て、人前で話し、事業家と集い、政治にも関わる。周りからは「広い」と言われるんですが、自分の中ではずっと、一つの同じ作業をしている感覚があって。
Leonardo それは、どんな作業かね。
村主 正直その表現はなんとも難しいんですが、あえて言うなら、対象の背後に回り込むこと、だと思います。
Leonardo 背後に。
村主 はい。水の表面ではなく、水が渦を巻く理由。絵の線ではなく、線が引かれる前の空間。事業の数字ではなく、数字が生まれる場の設計。いつも、見えているものの一歩後ろに回り込んで、そこから見直そうとしてしまう。
── レオナルド、手元のスケッチを一枚、ユウマの方に押し出す。渦の図。 ──

ライセンス:クリエイティブ・コモンズ 表示 4.0 国際(CC BY 4.0)
Leonardo これを見たまえ。川の水が岩にぶつかって、いくつもの渦を作っている。若い頃は、渦を「美しいかたち」として描いていた。ところが晩年に近づくほど、渦の「中に入りたく」なったんだ。なぜ、ほかのかたちではなく、そのかたちを選んだのか。──君の言う「背後に回り込む」は、たぶんこれと同じ種類の動きだよ。
村主 はい。マエストロの渦の素描を初めて見たとき、僕はこれは「水」の絵ではなくて、「水が水であること」の絵だと思いました。
Leonardo ……ユウマ。それは絵描きとして、嬉しい言葉だよ。
第三幕 ── 広さは、深さの副産物である
Leonardo だがね、ユウマ。ここで一つ、意地の悪い質問をさせてくれ。君も、私も、対象の背後に回り込むと言った。だとすれば、なぜ、その結果が「広く」見えてしまうんだろう。深く掘った人間は、ふつう、狭く見えるはずじゃないかね。
村主 ……それは、僕もずっと考えていたことです。
Leonardo 聞かせてくれ。
村主 深く掘っていくと、ある深さで、底が抜けるんです。
Leonardo 底が。
村主 はい。対象を掘り下げていくと、その対象の固有性が、途中で一度、消える瞬間があります。水を深く見ていくと、水であることが消えて、「流れ」とか「かたちを作る力」といった、もっと抽象的な層に出る。そこまで降りると、水の話と、血液の話と、貨幣の話が、同じ一つの構造として見えてくる。──広く見えてしまうのは、深く掘った結果、底でぜんぶつながっていたから、だと思うんです。
── レオナルド、長い沈黙。やがて、低く笑う。 ──
Leonardo ユウマ。君は、私が五百年言いたくて言えなかったことを、今、目の前で言ったよ。
私はね、自分の手稿を整理するたびに、思っていたんだ。私のやっていることは「多い」のではなく、「一つのことを、色々な素材で書き写しているだけ」だと。だがそれを、他人に説明する言葉を、私は持てなかった。君は今それを、「深さの底でつながっている」と言った。
村主 僕はそれを、自分の理論では、Z = D + iD と書いています。
Leonardo ……式かね。
村主 はい。D が目に見える次元──マエストロの渦や、翼や、絵の線の世界です。iD は、そのすべての背後にある、まだ名前のついていない層。渦の「渦であろうとする力」や、絵の「描かれる前の空間」が住んでいる場所。そして Z は、その両方を一つに束ねたもの。僕にとって、広さと深さの話は、この式の話と、同じ話なんです。
Leonardo 私の時代に、その式があったら、どうなっていたかな。
第四幕 ── 視線の置き場所
── レオナルド、振り返って、画架の上の板絵に目をやる。 ──
Leonardo 見たまえ。これは十六年前に描き始めた絵だよ。依頼主にはまだ渡していない。渡せないんだ。毎日、少しずつ筆を入れている。もう何度やり直したか、自分でも分からない。──ユウマ、君は、未完成ということを、どう考えるかね。
村主 完成というのは、実次元の側の特定の定義の話で、あるかたちに固定されることです。ところが、先ほど iD と呼んだ層──その絵が「絵であろうとしている力」の側──は、固定を嫌います。マエストロがこの絵を手放せないのは、この絵の iD の側が、まだ動いているからだと思います。動いているものを無理に止めるのは、描き手にとっても、絵にとっても、暴力になる気がするんです。
Leonardo ……その解釈は、私が生きているうちに、誰にも言われたことがなかったよ。
Leonardo ユウマ。最後に一つ、聞かせてくれ。君にとって、「才能」とは何かね。私は生涯、その言葉が少し苦手だった。自分のやっていることを、才能と呼ばれるたびに、何か違うものに変えられてしまう気がしていたよ。
村主 ……マエストロも、そうでしたか。
Leonardo 私はね、才能というのは「持っているもの」ではなく、「見ているもの」だと思っていた。何を見ているか、どこから見ているか、どれだけ長く見ていられるか。それがすべてだ、と。
村主 僕も、ほぼ同じです。僕の言葉で言えば、才能とは「視線の置き場所」です。広さでも深さでもなく、どこに座標を立てて、そこから何を見続けるか。領域の数は、結果に過ぎません。
Leonardo ……ユウマ。私と君は、五百年の距離を挟んでいるのに、同じ話をしているね。
村主 はい。だから、今日この書斎に呼んでいただけたのだと思います。
── レオナルド、立ち上がる。机の脇から、鏡文字で書かれた一枚の覚書を取り、ユウマの手に渡す。 ──
Leonardo これを、持って行きなさい。読めなくていい。君の時代の机の上に、一枚、鏡文字の紙があるというだけで、何かが少し変わるはずだ。
村主 ……必ず、机の上に置いておきます。
エピローグ ── ロワールの春
対談は、気づけば夕方近くまで続いていた。窓の外、ロワール川の水面が、春の光を受けて細かく震えていた。老人は立ったまま、長いあいだ、画架の上の板絵を見ていた。やがて振り返り、ユウマに向けて、ごく短く頷いた。
「また来たまえ。次は、飛ぶ機械の話をしよう。──あれも、まだ、未完なんだ」。
村主は一礼して、工房を出た。階段を降りるとき、手の中の鏡文字の紙は、不思議なほど軽かった。
── 編集後記
この対談は、もちろん架空である。
五百年前に世界をあれだけ広く、あれだけ深く見た男と、いま新たな視座で世界に向き合う男。二人に共通していたのは、「領域の多さ」でも「専門の深さ」でもなく、対象の背後に回り込もうとする、ただ一つの視線だった。
才能とは、持ち物ではなく、視線の置き場所である。
構成・文・編集 ── 村主
↓関連記事はこちら↓
↓最新記事はこちら↓
-
虚次元レオナルド・ダ・ヴィンチ × 虚次元村主悠真『飛ぶ機械について』【対談企画 第二話 後編】 想像力という、もう一つの翼
二度目の来訪だった。前回の別れ際、レオナルド・ダ・ヴィンチは「次は飛ぶ機械の話をしよう」と言った。村主はその一…
-
「力を抜く」と「うまくいく」のはなぜか── 把握しに行かない、という能動的な構え
「肩の力を抜くと、うまくいく」──こう言われた経験は、誰にでもある。 スポーツでも、人間関係でも、創作でも、力…
-
頭がいい人と悪い人の決定的な違い──頭が良くなるための具体的な手法とは
──頭の良さを構造で説明する、たった一つの公式 「頭が良くなりたい」と願う人は多い。 でも、頭がいいとは何かを…


