「今すぐ役に立つこと」ばかりやる人ほど、価値が上がらないジレンマ──自分の価値は、希少性の掛け算と、評価される時間軸の逆算でできている
- 「自分の価値」ではなく、「市場価値」の話をする
- 市場価値とは、希少性の掛け算である
- 希少性は、生まれつきではなく「後から作れるもの」
- 遠くの掛け算ほど、希少性は跳ね上がる
- 掛け算の起点は、「自分が普通にやっていること」
- 「自分とは何か」は、外部情報でしか語れない
- 価値を高める判断基準は、「今すぐ役に立たないこと」
- 評価の時間軸を、未来に投げる
- 「無用の用」──使えない木ほど、切られずに残る
- 名前をつけた瞬間、それは別のものになる── ラベルは説明ではなく、視界の固定である
- 「今すぐ役に立つこと」ばかりやる人ほど、価値が上がらないジレンマ──自分の価値は、希少性の掛け算と、評価される時間軸の逆算でできている
- 「向いてる仕事」を探すという発想が、そもそも間違っている── 適性は、入る前ではなく入ったあとに決まる
「自分の価値を高めたい」と思ったとき、多くの人がまず考えるのは、資格を取る、専門性を磨く、今すぐ役に立つスキルを増やす、ということだ。
結論から言うとそれはある一面からの道筋に過ぎない。市場価値というものは、希少性の掛け算と、評価される時間軸で構成されている。そして皮肉なことに、「今すぐ役に立つこと」を追いかけるほど、希少性は失われていく。
「自分の価値」ではなく、「市場価値」の話をする
自分の価値、と言うとき、話はすぐに拡散する。人としての価値なら、誰にでもすでにある。家族にとっての価値、友人にとっての価値、それぞれの物差しで測れば、答えは人の数だけ存在する。
ここでは、あえてその話をしない。市場という前提の上に立つ「市場価値」──つまり、どれだけ稼ぎやすくなるか、という一点に絞って考えていく。
市場価値とは、希少性の掛け算である
市場価値が高いとされる職業を並べてみると、経営者、投資家、芸能人、アスリート、医師、弁護士……という顔ぶれになる。共通しているのは、誰にでもできることではない、という一点だ。
一方で、社会的な価値と市場価値は、イコールではない。人間にとって本当に必要なもの、たとえば空気や水は、ほぼ無料だ。介護や保育のような、生活に欠かせないエッセンシャルワークも、必要性の高さに反して、市場価値としては評価されにくい。
つまり、汎用性が高く、代替可能なものほど、市場価値は算定されにくい。この構造を突破できるかどうかが、価値付けにおいての分かれ目になる。
希少性は、生まれつきではなく「後から作れるもの」
ここで、才能やポテンシャルの話に逃げたくなる。大谷翔平のような人になりたいと思っても、なれるわけではない、と。
その通りだ。持って生まれた才能や運の話をしても、意味はない。人は人、自分は自分だ。だからこそ、逆算して考える。希少性とは、先天的な資質だけではなく、戦略として後から組み立てられるものだ。
同じ教育、同じ文化、同じ枠の中で生きている限り、希少性は生まれない。多くの人は、就職し、専門領域を一つ持ち、その中で頑張る。だが、その他大勢がやっていないことを、いかに掛け合わせるか──そこに、希少性を生み出す唯一の方法がある。
遠くの掛け算ほど、希少性は跳ね上がる
掛け算には、距離がある。アイドルが女優に転身する。これは近い掛け算だ。隣接領域への移動は、誰もが予測できるし、実際に大勢が同じ道をたどる。だから、希少性はほとんど生まれない。
一方で、アイドルが東大を目指す、経営者になる、といった遠い掛け算は、距離が離れているぶん、難易度も上がるが希少性も急激に高まる。もちろん、遠い掛け算をすれば必ず成功するわけではない。組み合わせをどう選ぶかには、センスも運も関わってくる。
だが、希少性を出すこと自体は、実は誰にでもできる。問題は、何と何を掛け合わせるか、その距離をどこまで広げられるか、という設計の話に帰着する。
掛け算の起点は、「自分が普通にやっていること」
遠い掛け算というと、何か特別な経験が必要に思えるが、そうではない。起点は、自分が昔から普通にやっていることでいい。漫画を読む、ゲームをする、スポーツ観戦をする──誰にでも、こうした「なんとなく続けていること」がある。
漫画を読むだけなら、それはただの趣味だ。だが、それを海外に発信する、高齢者向けに編集する、というふうに、切り口を変えて掛け合わせると、コンテンツになる。同じ材料でも、どの角度から調理するかによって、価値は変わる。
多くの人が価値を高められないのは、自分の中にある材料を見つめ直していないからだ。武器はすでに手元にある。あとは、それをどう掛け合わせるか、という向き合い方の問題でしかない。
「自分とは何か」は、外部情報でしか語れない
自分の価値がわからない、と悩む人は多い。だが、そもそも「自分が何者か」を、自分そのものから語ることはできない。
経営者をしている、投資をしている、こういう活動をしている──自己紹介の中身は、すべて後から自分に付け加えられた外部情報だ。本質的な「自分」を直接指し示す言葉は、実はどこにもない。
だとすれば、答えはシンプルだ。自分に付いている外部情報を、意図的に書き換えればいい。心が動くもの、面白いと感じるものを、遠慮せずに受け入れていく。そこでは、常識や「社会人としてこうあるべき」という遮断の癖が、いちばんの邪魔になる。
価値を高める判断基準は、「今すぐ役に立たないこと」
ここが、いちばん重要な話になる。多くの人は、今すぐ役に立つことばかりを考える。資格、専門性、即戦力になるスキル。
だが、全員が同じ発想をしている時点で、そこに希少性は存在しない。
だからこそ、判断基準を反転させる。今、役に立たないことを、あえて選ぶ。これは勇気がいる。今も役に立たず、将来役に立つ保証もない。それでも、その中でどうするかが、価値を分ける。
評価の時間軸を、未来に投げる
価値というものは、「いつ」「誰が」「どの時点で」評価するかによって、まったく違う顔を見せる。多くの人は、今日から始めて一ヶ月後に成果を出す、という短い時間軸で価値を考えてしまう。
だが、短い時間軸で成果を出せることは、恐らく他の人でもできることだ。本当に希少な武器は、一年や二年では作れない。十年単位でしか、たどり着けない領域がある。
未来を正確に予測することは、誰にもできない。優秀な専門家が本気で予測しても、九割九分は外れる。だとすれば、未来予測に賭けるのではなく、今すぐ役に立たないことに、時間という資本を淡々と積み続けるほうが、賭けとしては合理的だ。
「無用の用」──使えない木ほど、切られずに残る
ちょうどいい、使いやすい木は、すぐに切られて使われてしまう。今すぐ役に立たない、いびつな木だけが、切られずに残り、やがて大木になる。
「今すぐ使える」と評価される人ほど、今の価値のまま、周囲に消費されていく。逆に、今は使いどころがわからない人ほど、時間をかけて、誰にも代わりのきかない存在に育っていく。
目先の利益を追い続ける発想は、人類が時間軸を思考に組み込むことで進化してきた歴史そのものに、逆行している。その進化の恩恵は、目先を追っている限り、自分では使えない。
自分の価値を高める、という問いに、決まった正解はない。ただ、希少性は掛け算によって後天的に作れること、そして評価される時間軸を、自分の意思で未来に投げられること。この二つの構造を知っているかどうかで、同じ熱量の使い道が、まったく違う場所にたどり着く。
今すぐ役に立つことを、今日はひとつやめてみる。そこから、十年後の希少性が動きはじめる。
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