虚次元アインシュタイン × 虚次元村主悠真『公益という、未完の方程式』【対談企画 第四話 前編】二人で書く、もう一つの世界宣言。
第四話の村主は、ポケットに前回の手紙を入れたまま、再び書斎を訪ねた。博士は前回と同じ椅子に座り、しかし机の上には新しい紙束があった。手書きの草稿のように見えた。
「ちょうど、平和のことを考えていたところだ」と、博士はそう言って迎えた。
第一幕 ── 一九一四年、署名しなかった男
アインシュタイン ユウマ。今日は、まず私の昔話から始めさせてくれ。──一九一四年、第一次世界大戦が勃発した直後、ベルリンで「九十三人の知識人宣言」というものが出された。ドイツの戦争行為を擁護するために、九十三人のドイツ人科学者・芸術家が署名した文書だ。
村主 はい、聞いたことがあります。
アインシュタイン プランクも、レントゲンも、フォン・ベーリングも署名した。当時のドイツ知識人界の、最も輝かしい名前たちだよ。──私は、署名しなかった。
村主 ……たった一人で。
アインシュタイン いや、私の他にも数人いた。だが、多数派ではなかった。私はその直後、別の文書「ヨーロッパ人への宣言」に署名した。これは戦争に反対する内容だったが、署名したのは、私を含めてわずか四人だった。九十三対四、だよ。
── 博士、紙束に目を落とす。 ──
アインシュタイン ユウマ、私はあのとき、思想家にとって最も重い問いを受け取ったんだ。──「自分の祖国が間違っているとき、自分は祖国の側に立てるのか」と。
村主 先生は、立ちませんでした。
アインシュタイン 立たなかった。だがね、立たないという選択は、孤独だよ。何十年経っても、その孤独は消えない。──ところがユウマ、君を見ていると、私は思うんだ。君は、最初から「祖国」という座標を疑っているらしい、と。
村主 はい。僕は、国家という単位をそこまで重視していません。信じているのは、人類という単位です。
アインシュタイン ……それは、私が一九一四年に、ようやくたどり着いた場所だよ。
第二幕 ── ラッセル=アインシュタイン宣言
アインシュタイン そして晩年、私は別の宣言に署名した。一九五五年、私の死の数日前だ。バートランド・ラッセルと共に書いた宣言で、後に「ラッセル=アインシュタイン宣言」と呼ばれるものだ。
村主 核兵器の廃絶を訴える宣言ですね。
アインシュタイン そう。あの宣言の核心は、たった一行に集約される。──「人類として記憶せよ、それ以外を忘れよ」。
── 村主、息を呑む。 ──
村主 ……Remember your humanity, and forget the rest.
アインシュタイン あれは、私が世界に残した、最後の言葉の一つだ。あのとき私は、もう自分の身体が長くないと分かっていた。だから、最も短く、最も削ぎ落とした言葉を残したかった。
村主 「人類として記憶せよ」というのは、つまり……。
アインシュタイン 国籍も、宗教も、人種も、職業も、忘れろ、ということだ。それらは全て、後から人間が引いた座標にすぎない。本当の座標は、もっと根源にある。「人間である」という、ただ一点の座標だ。
村主 ……それは、僕の言葉で言えば、「最大公益の原点」です。
アインシュタイン どういう意味かね。
村主 公益は、誰かの不幸を前提にしない設計だと、僕は前にお話ししました。その「誰か」を、国籍や宗教や人種で区切った瞬間に、公益は壊れる。本当の公益は、「人間である」という一点だけを足場に置いて、初めて成立するんです。
── 博士、深く頷く。 ──
アインシュタイン ユウマ。もし私があと十年生きていたら、君と同じ言葉を使っていたかもしれないね。
第三幕 ── 国境という、人工の座標
村主 先生、僕は今、i.PEACE という枠組みで五つの活動をしています。教育、人身売買からの救出、孤児院、水アクセス、そして記念碑としての DROP PEACE。──これらに共通するのは、全て「国境を跨ぐ」ということです。
アインシュタイン 意図的に、跨いでいるのかね。
村主 はい。意図的に、です。なぜなら、貧困も、虐待も、渇きも、国境では止まってくれないからです。問題が国境を越えるのに、解決策だけが国境の中に閉じ込められている。これは、構造的な怠慢だと僕は思っています。
Einstein ……そのとおりだ。私は晩年、世界政府というものを真剣に提案した。多くの人が、私を理想主義者だと笑った。「国家を超えた政府などありえない」と。
村主 でも先生は、引き下がりませんでした。
アインシュタイン 引き下がれなかった。なぜなら、私は物理学者だからだよ。
村主 ……物理学者だから?
アインシュタイン そう。物理学者というのは、座標系を疑う訓練を受けている人間だ。ニュートンの絶対空間は、私が疑った。絶対時間も、私が疑った。なら、なぜ「国家」という座標系だけ、疑ってはいけないんだ?
── 少し声を強める。 ──
アインシュタイン 国家というのは、たかだか数百年前に作られた近代の発明だ。それ以前、人類は別の単位で生きていた。村、部族、宗教共同体、都市国家。──国家が永遠の単位だと思っているのは、ただの歴史の浅さだよ。
村主 先生、まさに僕もその視点を、もっと多くの人に届けたいと思っております。
アインシュタイン 難しいだろう。人間は、自分が立っている座標系を疑うのが、何より苦手だからね。だがユウマ、君のi.PEACE のように、実際に国境を跨いだ活動を続けることは、それ自体が一つの証明になる。「ほら、跨げるじゃないか」と、見せ続けることだ。
後編に続く
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