「わかりやすさ」が奪っているもの── 圧縮率が上がるほど、削られるのは例外と矛盾である
── 翌日には、たとえ話しか残っていない
十分の解説動画を見た。難しいと思っていたテーマが、するすると腑に落ちた。コメント欄には「今まで見た中で一番わかりやすい」が並んでいる。
翌日、それを人に説明しようとした。三十秒で詰まった。残っていたのは、たとえ話の部分だけだった。
たいていの人は、これを記憶力の問題として処理する。メモを取らなかったから。復習しなかったから。だが、そうではない。あの十分間に起きていたのは、そもそも理解ではなかった。
結論から言えば、「わかった」という感覚は、理解の到達点ではない。思考が止まった合図だ。
「わかった」を、理解だと思い込むな
「わかった」は、対象の構造をつかんだときにも起きる。だが、単に引っかかりが消えただけのときにも、内側からはまったく同じ感覚として起きる。この二つは、体験している本人には区別できない。
しかも頻度で言えば、後者のほうが圧倒的に多い。矛盾のない筋書きを渡され、宙ぶらりんだった疑問が収まるべき場所に収まる。その安堵が「わかった」として体験される。
引っかかりが消えることと、構造をつかむことは、別の出来事だ。前者には快感が伴う。後者には、たいてい伴わない。だから人は、快感のあるほうを理解だと思い込む。
わかりやすさとは、圧縮率のことだ
説明という行為は、圧縮である。膨大な情報から一部を選び、共通の記号に置き換え、相手が自分の側で展開できる形にして渡す。
圧縮である以上、必ず何かが落ちる。圧縮率を上げれば上げるほど、落ちる量は増える。わかりやすさとは、この圧縮率を高めた状態を指しているにすぎない。
つまり、わかりやすい説明を受け取ったとき、手元に届いているのは対象そのものではない。誰かが選び終えたあとの、残りのほうだ。
── 最初に削られるのは、例外と矛盾である
何が優先的に削られるのか。順序はほぼ決まっている。
まず例外が消える。次に、話の流れに乗らない反証が消える。最後に、そもそもまだ決着がついていないという事実が消える。
残るのは、一本の筋が通った話だ。筋が通っているから、気持ちよく入ってくる。
だが、削られたものの中にこそ、その分野がまだ生きて動いている部分が入っていた。例外と矛盾は、話を汚す不純物ではない。対象がまだ言い切れていないことの証拠であり、次に考えるべき場所を指す標識だ。
難解な文章を擁護しているのではない
ここは誤解されやすいので、先に潰しておく。これは、難しく書かれたものを持ち上げる話ではない。
わざと難解に書かれた文章の多くは、単に整理されていない場合もある。圧縮できていないことを、深さと取り違えていることも。削るべきものを削っていないという点で、圧縮しすぎた説明と、方向は逆だが似たような失敗をしている。
── 説明が上手い人は、自分が削ったものを覚えている
本当に説明が上手い人には、共通した特徴がある。自分がいま何を削ったかを、自覚している。
だからそういう人の説明には、必ずこの一言が混ざる。「ここは実際にはもっと複雑で」「厳密にはこの言い方は正しくないんですが」。
一見、話の精度を下げているように見える。だが逆だ。この一言は、いま渡している像が近似であることを相手に伝えている。地図を渡しながら、これは地図だと言っている。
この一言がない説明は、近似を完成品として渡している。受け取った側は、それを世界そのものだと思い込む。
単純な話しか受けつけない状態が育っていく
個々の説明が少し単純化されるだけなら、実害は小さい。問題は、単純化された説明ばかりを摂取し続けたときだ。
やがて、単純な話しか受けつけられない状態が育つ。そうなると、複雑なものに出会ったときの反応は二つに絞られる。誰かが単純化してくれるのを待つか、複雑なまま語る側を不誠実だと感じるかだ。
どちらの経路でも、自分で抱えたまま考える力は、使われないまま眠る。
矛盾を矛盾のまま持ちこたえる力──矛盾許容力は、使わなければ確実に落ちる。筋の通った話だけを浴び続けることは、その力を静かに削り続けているということだ。
わかりやすい入口は必要だ。入口がなければ、そもそも入れない。
ただ、入ったあとに一度は問い直したい。この説明は、何を削ってここまで軽くなったのか。
だからこそ問うべきは、「この話はわかりやすかったか」ではない。「この話は、自分のわからなさの輪郭を、前より正確にしたか」──目指すのは、そちらの説明だ。
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