素数とは何か──「割り切れない生き方」という、数の視座
- ── 史上最大の素数、4000万桁が見つかった日
- 素数とは「それ以上、割れない」数のことである
- メルセンヌ素数と完全数──割り切れないものが、世界を形づくる
- 「表現できないもの」を追いかけるロマン
- 人は「合成数」として生きている
- 素数として生きるということ──割り切れないことは、孤独ではなく強度である
- 名前をつけた瞬間、それは別のものになる── ラベルは説明ではなく、視界の固定である
- 「今すぐ役に立つこと」ばかりやる人ほど、価値が上がらないジレンマ──自分の価値は、希少性の掛け算と、評価される時間軸の逆算でできている
- 「向いてる仕事」を探すという発想が、そもそも間違っている── 適性は、入る前ではなく入ったあとに決まる
── 史上最大の素数、4000万桁が見つかった日
先日、史上最大の素数が発見された。桁数にして約4000万桁。一つ前の記録が2500万桁だったから、一気に1500万桁も更新したことになる。子どもの頃に習った「京」や「垓」といった単位はせいぜい10の68乗、桁数にして68桁ほどだった。
4000万桁とは、その桁の数字を1枚に2500桁ずつ書いたとしても、原稿用紙1万6000枚分に及ぶ量だ。この途方もない数字が、しかも「それ以上は割り切れない」という一点の性質だけで、世界中の話題をさらった。
なぜ、これほどまでに人は素数に惹かれるのか。素数は無限に存在するだろうと予想されている。しかし、どこまでいっても「最大の素数」はまだ見つかっていない、というよりそもそも無限に続くので、最大という概念が存在しない。
その終わりのなさこそがロマンだ、と語る人は多い。だが僕は、もう一つ別の角度から素数を見ている。素数とは、割り切れないことによって、初めて自分の形を保てる数だということだ。
素数とは「それ以上、割れない」数のことである
素数の定義はシンプルだ。1と自分自身以外に約数を持たない数。6は2と3で割れるから素数ではない。5は5と1でしか割れないから素数だ。11も、13も、17も同じ。小さな数であれば、素数かどうかは直感的にわかる。しかし桁数が大きくなればなるほど、ある数が素数かどうかを判定すること自体が、計算資源を根こそぎ投入しなければならない大仕事になる。
今回発見された数は、2の1億3627万841乗から1を引いた数だ。この「2のN乗マイナス1」という形をした数を、メルセンヌ数と呼ぶ。17世紀のフランスの数学者メルセンヌが見出した数の型で、この中でも素数になっているものだけをメルセンヌ素数と呼ぶ。
素数を無作為に探すよりも、メルセンヌ数の中から探した方が効率がよい──そう気づいた人類は、以来ずっとこの数の型を掘り続けている。
メルセンヌ素数と完全数──割り切れないものが、世界を形づくる
今回の発見を担ったのは、GIMPS(Great Internet Mersenne Prime Search)という団体だ。世界中のパソコンをネットワークでつなぎ、疑似的な巨大スーパーコンピュータとして運用し、ひたすらメルセンヌ数の探索を続けている。17カ国、24のセンター、数千台規模のコンピュータが、何年もかけて一つの数を追いかける。発見者に贈られる賞金は40万円ほどだというから、これは経済合理性の話ではない。
素数には、思わぬ実用性もある。RSA暗号という、僕らが日常的に使っているデジタル通信のセキュリティ技術は、大きな数を素因数分解する困難さを利用している。素数を探す営みそのものがロケット開発のように、直接の目的とは別の場所で技術を育て、社会に転用されていく。目的の外側に副産物が生まれる、という構造だ。
さらに面白いのは、メルセンヌ素数と「完全数」の関係だ。完全数とは、自分自身を除く約数をすべて足すと、自分自身に戻る数のことをいう。6は1+2+3=6、28は1+2+4+7+14=28。この完全数は、メルセンヌ素数から作ることができる。「2のN乗マイナス1」が素数であるとき、それに2のN−1乗を掛けると、必ず完全数になる。
つまり、今回4000万桁のメルセンヌ素数が見つかったということは、同時に52番目の完全数が見つかったということでもある。一つの割り切れない数を追いかけていたら、気づけば「割り切ったらちょうど自分に戻ってくる数」にぶつかっていた、というわけだ。
「表現できないもの」を追いかけるロマン
素数研究における最大の謎は、いまだに「これを計算すれば必ず素数が出てくる」という完全な数式が見つかっていないことだ。天才オイラーは、N²−N+41という式を発見した。Nに1から40までの整数を入れると、驚くべきことにすべて素数になる。だが、それも41までで破綻する。
フェルマー素数、レピュニット素数(1が並ぶだけの数、たとえば11)、そしてベルフェゴール素数(0が13個ずつ666を挟む、悪魔の数とも呼ばれる数)──数学者たちは何百年もかけて、素数の特殊な型に名前をつけ、分類し、規則性を探ってきた。
古代ギリシャのユークリッドは、約2000年前にすでに「素数は無限に存在する」ことを証明している。2000年という時間と、現代の計算機の力を総動員してなお、素数の全体像はいまだつかめていない。表現しきれないもの、規則で捉えきれないものを、それでも人類は追い続けている。これがロマンの正体の一つだ。
人は「合成数」として生きている
ということで、数学的な専門的な話から逸れて、ここからは、少し飛躍した見方をしてみたい。人間の多くは、素数ではなく「合成数」として生きている。合成数とは、複数の要素の掛け算でできている数のことだ。6は2×3、10は2×5。人もまた、育った環境、出会った人、受けた影響、属しているコミュニティ──さまざまな「約数」の掛け合わせで、いまの自分ができている。
約数が多いということは、共感されやすいということでもある。誰かと自分に共通する約数があれば、そこで人はつながることができる。合成数的に生きるとは、自分の中に他者と重なる部分をたくさん持つということだ。これ自体は、悪いことでも劣ったことでもない。社会の大半は、この重なりによって成り立っている。
素数として生きるということ──割り切れないことは、孤独ではなく強度である
一方で、ごくわずかに、どうしても割り切れない人がいる。一見すると大きく、複雑で、いろいろな要素が詰まっているように見えるのに、実際には自分自身の軸以外の何によっても分解できない。これが、生き方としての「素数」だ。大きな数であればあるほど、割る要素は多そうに思える。だが素数は、その予想を裏切って割り切れない。偶数ですらない──2以上の素数はすべて奇数だ、という事実は象徴的だ。もっとも当たり前に割れそうな性質すら、最初から持っていない。
素数的に生きる人は、共感されにくい。自分の中に、他者と共有できる約数が少ないからだ。だからこそ孤独に見える。しかし、それは欠落ではなく、強度としての孤独だ。誰にも影響されすぎず、自分の行きたい方向、やりたいことを、自分の軸だけで進める。約数の少なさは、共感のされにくさであると同時に、他者に容易に分解されない強さでもある。
そして、素数であることに優劣はなくとも、大きさには意味がある。同じ割り切れない生き方をするなら、より大きな素数でありたい。今日4000万桁が最大だったとしても、数年後には8000万桁の素数が見つかるかもしれない。そのとき「こんな割り切れないやつが、こんなに大きくいるのか」と驚かれるような存在に、自分もなっていきたい。素数として生きるとは、比較でも競争でもなく、割り切れないまま、少しずつ大きくなっていくことなのかもしれない。
素数を数式で完全に説明できる日は、まだ来ていない。同じように、割り切れない生き方をする人を、既存の理論やカテゴリーで説明しきることもできない。それでいい。説明のつかない大きさのまま、自分の軸で在り続けること。そこにしか出せない視座が、確かにある。
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