虚数は実在するのか── 観測できないものは存在しない、という前提を覆した虚数の歴史
「観測できないものは、存在しない」──。
科学の時代に生きる私たちは、知らず知らずのうちにこの前提に縛られている。だが、人類はかつて、この前提が間違っていたことを発見した瞬間がある。
それが、虚数 という数の発明だ。
そして、虚数は実在するのか という問いは、今もネット上で繰り返し議論されている。けれど、この問いの本当の射程は、虚数の話だけにとどまらない。
「在ってはならない量」の誕生
16世紀イタリア、計算の中間に現れた亡霊
話は16世紀のイタリアに遡る。
数学者カルダーノが三次方程式の解法を整備していた頃、計算の中間段階に奇妙な量が現れた。負の数の平方根。二乗するとマイナスになる、当時の世界観では「在ってはならない」量だ。
不思議なことに、この量を計算過程で受け入れて操作を続けると、最後には正しい実数解に行き着く。便利だが、本当に存在するとは認めがたい。長く、これは「想像上の数(imaginary number)」として扱われた。
人類は一度、この量を「無いことにしよう」と試みたのだ。
構造の整合性が、排除を許さなかった
直交する独立な軸──複素平面の誕生
ところが、構造の整合性は、この量を排除することを許さなかった。
18世紀末、三人の数学者が独立に、ある操作を行った。実数を一本の数直線として描いてきた習慣を破り、その直線に 直交する独立な軸 を新たに引いたのだ。横軸が実数、縦軸が虚数。両者を合わせて二次元平面として描く。これが「複素平面」と呼ばれるものだ。
この瞬間、「在ってはならないもの」とされた虚数は、はじめて構造的な居場所を得た。
ガウスは後にこう書いている。
imaginary という呼称は誤りである。これらは完全に実在する量である。単に、観測の対象としては現れないだけのことだ。
観測されないことと、実在しないことは、同じではない。
つまり虚数の実在は、観測ではなく 構造の整合性 が論理必然的に要請するものだった。
軸が立つ前と、立った後
世界の見え方を変えたのは、発見ではなく装置だった
ガウスたちが行ったのは、新しい数を「発見」したことではない。それまで一次元だった数の世界に、もう一本の 直交する独立な軸 を新設したのだ。
軸が立つ前は、虚数は「ない」ものだった。軸が立った後、それは「ある」ものになった。現象は変わっていない。変わったのは、それを座標化する装置のほうだ。
同じ構造の出来事は、歴史の中で何度も起きている。賭け事は古代から存在していたが、17世紀にパスカルとフェルマーが「確率」を確立するまで、不確実性は定量化可能な独立軸として認知空間に存在しなかった。
軸が立った瞬間、世界の見え方が変わる。
拡張虚数理論という翻案
存在記述の領域へ──虚次元という座標
そしていま、この操作を数の領域から 存在記述の領域 へ翻案している。
それが「拡張虚数理論」と名付けた枠組みだ。対象を Z = D + iD という二重構造として記述する。実次元 D と虚次元 iD の重ね合わせとして、存在を捉え直す。
「虚数は実在する」というガウスの直観は、数の領域に閉じ込められるべきものではなかった。
見えないものに、座標を立てる。
それが、人類が次に必要としている思考装置だ。
↓村主第一論文『拡張虚数理論』はこちら↓

↓村主第二論文『起こりの構造論』はこちら↓

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