虚数とは何か──「存在しない数」が、世界の見方を変えるまで【実数主義】
中学や高校で「二乗するとマイナスになる数」と一度は習う。けれど、そんな数が現実のどこにあるのか分からないまま、多くの人が通り過ぎていく。虚数(imaginary number)──名前からして「想像上の」数。だが、この数は架空の作り話ではない。むしろ、私たちが「現実」と呼んでいるものの見方そのものを、静かに広げてくれる。
そもそも虚数とは──二乗して−1になる数
ふつうの数(実数)は、二乗すれば必ず0以上になる。2×2=4、(−3)×(−3)=9。どうやってもマイナスにはならない。ところが「二乗して−1になる数」を考えると、実数の中には答えがない。
そこで数学は、その答えに新しい記号を与えた。それが虚数単位iである。定義はたった一行、i² = −1。この一個の約束から、新しい数の世界がひらける。
aとbを実数として、z = a + biと書ける数を複素数(complex number)と呼ぶ。aが実数部分、biが虚数部分だ。実数はb = 0の特別な場合にすぎない。つまり、私たちが慣れ親しんだ実数Rは、より広い複素数Cの一部なのである。
「想像上(imaginary)」だが、「架空」ではない
「虚数」「imaginary」という名前は、歴史的な手違いに近い。一六世紀、三次方程式を解く途中で、どうしても「負の数の平方根」が現れてしまった。当時の数学者はこれを「ありえない数」「想像上の数」と呼んで持て余した。命名には、この戸惑いがそのまま残っている。
だが後に、GaussやEulerによって、複素数は平面上の点として描けることが分かる(複素平面)。虚数は、実数とまったく対等な数学的実在になった。今日では電気工学・量子力学・信号処理など、現実を扱う最前線で虚数は欠かせない。
量子力学の波動関数は複素数値をとる。虚数は「役に立たない想像」どころか、現実を記述するために手放せない道具なのだ。要するに──虚数はimaginary(想像上)だが、fictional(架空)ではない。
実数は、複素数の「実部」にすぎない~実数主義~
ここに、数学が見せてくれる大事な構図がある。実数Rだけでは、「二乗して−1になる数」のような問いに答えられない。体系が閉じないのだ。そこで数学は、実数を貶めることも、空席を放っておくこともしなかった。実数Rと直交する新しい一本の軸iを、最小限だけ増設した。すると、体系はきれいに閉じる。
iはRの外にあるが、架空ではない。Rと結びついて、はじめて数の世界を完備にする。実数とは、この広い複素平面の、横軸という一部分だったのである。
ここから哲学へ──「測れる世界」も実部にすぎないのでは
拡張虚数理論は、この数学の構図を、世界の見方のモデルとして借りる。私たちはふだん、数値で測れるもの・記述できるものだけを「現実」とみなしがちだ。だが、どれほど精密に記述しても、対象には必ず、まだ意味として立ち上がっていない余剰が残る。
記述が捉えられるのは、すでに形になった結果だけ。その形が立ち上がってくる手前そのものは、どんな数値にも書き込まれない。
この構図は、実数だけでは閉じなかった数の体系とそっくりだ。そこで拡張虚数理論は、対象の存在Zを、記述され尽くす実次元Dと、その手前にとどまる虚次元iDの重ね合わせとして書く。
Z = D + iD
数学でiがRに直交する一軸であったように、iDはDに還元されない独立な一軸である。「測れる現実」は、より広い実在の実部にすぎない。だがそのiDを認めず、Dだけでこの世を定義し扱い続けることを実数主義と呼ぶ。
虚数で世界を見るということ
虚数を学んだとき、世界に新しい次元が一本加わる。マイナスの平方根という「ありえないもの」を切り捨てず、軸を一本増やして受けとめる。その瞬間、解けなかった問いが解け、直線が平面へと広がる。
同じことを、現実の見方に対しても行えないか──。測れないものを「気のせい」として捨てる前に、そこに実在の別の軸があるのではないかと問うてみる。
視座プラスが「構造視力」と呼ぶのは、この一本の軸を見る力のことである。
実数主義は誤っているのではなく、狭いのである。
実数が複素数の実部にすぎないように、数値で描かれた現実もまた、より広い実在の実部にすぎない。虚数は、その「広さ」を最初に教えてくれる、いちばん身近な入口なのだ。
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