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「分かり合えない」と感じるときは”視座”が違っている──相手の立場に立つ、の本当の意味

公開日: 2026年5月2日 更新日: 2026年5月3日
「分かり合えない」と感じるときは"視座"が違っている──相手の立場に立つ、の本当の意味

同じ言葉を話しているのに、話が通じない。 何度説明しても、相手の顔が曇っていく。価値観が違う、で片付けてしまえばそれまでだが、そう片付けるたびに、少しだけ人間関係に疲れていく。

僕らが「分かり合えない」と感じるとき、本当に起きていることは、意見の対立ではないのかもしれない。

気持ちを想像するとは、視座を想像すること

他人の気持ちがわかる、と言うとき、僕らはいつも少し慎重になる。

気持ちは、感情だけでできているわけじゃない。その人が、どんな地面に立っているか。どんな歴史を背負っているか。何を当たり前だと思い、何を例外だと思っているか。そうした視座ぜんたいが、感情のかたちを決めている。

だから、気持ちを想像する、というのは、本当は、気持ちの発生源である「視座」を想像する、ということでもある。

他人の視座に、完全には立てない

当然、他人の視座に完全に立つのは不可能だ。

育った場所も、時代も、身体も、違う。同じ言葉を使っていても、その言葉が背負ってきた重みは、ひとりひとり違う。

それでも、想像をやめた瞬間に、世界はとても狭くなる。

相手を「自分とは違う視座に立っている人」として見ることができなくなると、人は簡単に、「間違っている人」「わかっていない人」と切り捨てる側に立ってしまう。分かり合えない、という感覚は、実はこの切り捨ての手前で起きている。

“相手の立場に立つ”は、正解を出すことではない

「相手の立場に立って考えよう」とよく言われる。けれど、この言葉はときどき、重たく響く。

他人の視座に立とうとすることは、正解を出すことではない。 「自分の見え方が、すべてではない」と、まずは認めることから始まる。

認めるだけで、ずいぶん違う。相手の言葉を、自分の地図のうえに無理やり置き直さなくてよくなる。別の地図があるかもしれない、と思えるようになる。そこには自分が想像できない斬新なルールがたくさんある。

相手の立場に立つ、の本当の意味は、相手の答えを当てることではなく、相手の地図の存在を認めることだ。

分かり合えないのは、意見ではなく視座が違うから

他人と分かり合えない、と感じるとき、たいていは、意見が違うのではなくて、視座が違う。

意見の議論は、どこまでいっても平行線になることがある。同じ土俵で「どちらが正しいか」を争っている限り、すれ違いは埋まらない。

でも、視座の違いに気づいたとき、話し合いは、むしろ深みが増す。「なぜこの人は、そう見えているのか」という問いに変わるからだ。問いが変わると、人間関係の景色そのものが変わる。

世界が、前より少しだけ優しくなる

他人の視座に、完全には立てなくていい。 ただ、「そこにもうひとつの視座がある」と、意識しておくことから始める。それだけで、分かり合えないという感覚は、敵意ではなく、好奇心に近いものに少しだけ座標が変わる。

その時、世界は、前よりも少しだけ優しくなる。

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村主 悠真
WRITTEN BY
村主 悠真
思想家。ï Theory 創始者。人と世界の存在構造を、虚数概念の援用により拡張した独自の理論体系を構築。目に見える現実(実次元)の背後にある"虚次元"を定式化し、個人の変容から世界構造の転換までを一貫して扱う思想を展開する。教育・人道支援・平和構築を横断する世界的実践と、その根底にある理論を、このメディアで記録していく。
村主 悠真
村主 悠真
思想家 ── ï Theory 創始者
人と世界の存在構造を拡張する理論を構築し、思想と平和の実装を記録するメディアを主宰。

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