「自分」と「他人」の範囲はどこまでか── 自他境界の拡張と溶解
皮膚の内側だけが、自分なのか
自分と他人の明確な境界線を再定義する
自分とは何か。
多くの人にとって、「自分」とは皮膚の内側だ。身体の境界が、自己の境界。内側が自分で、外側が他人。
その境界は本当に固定されているだろうか。
他人の痛みで苦しくなるのはなぜ?自他境界の視点で解説
感情が証明する「自分」の可変性
我が子が泣いているとき、自分の胸が痛む。親友が成功したとき、自分のことのように嬉しい。愛する人が苦しんでいるとき、自分が苦しい。
このとき、「自分」の境界はどこにあるのか。
皮膚の内側だけが自分だとするなら、他人の痛みで自分が痛むのは理論的に説明できない。でも実際にはそれが起こる。
つまり、「自分」の範囲は固定されていない。状況によって、関係性によって、伸び縮みする。
自他境界が広い人は、世界の見え方が違う
「私」と「他」の壁が薄くなるとき
自他境界という概念がある。
自他境界が狭い人は、「自分」の範囲が小さい。自分の利益、自分の感情、自分の都合。世界は「私」と「他」に分断されていて、その間に壁がある。
自他境界が広い人は、「自分」の範囲が大きい。家族が自分の一部。チームが自分の一部。やがて、社会が、国が、人類が、自分の一部になっていく。
視座が高い人ほど、自他分離をしない。世界は「分かれた個の集まり」ではなく、「相互作用する全体の場」として経験される。
世界平和とは、自分の範囲の最大化だ
崇高な理想ではなく、境界拡張の最終形
世界平和という言葉がある。
多くの人にとって、それは遠い理想だ。自分の生活で精一杯なのに、世界の平和なんて考えている余裕はない。
でも、自他境界の拡張という視点で見ると、世界平和は「自分の範囲を最大化した状態」だ。
自分の家族の幸せを願う。それは自然なことだ。その「自分の家族」の範囲が少しずつ広がって、友人になり、地域になり、国になり、人類になる。
口で言うのは簡単だ。人類愛。他人を自分のように愛す。ワンネスなどなど。だが、その意味を本当に理解して使っている人は少ない。
世界平和とは、特別な崇高さではなく、自他境界の拡張の最終形に過ぎない。
問いはシンプルだ。あなたの「自分」の範囲をほんの少し拡げてみませんか。
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