嫌いな人も、広い自分の一部である── 大きな細胞の一部として見る
書き出してみると、自分の中には複数の自分がいる。
休みたい自分。行こうとしている自分。答えを求めている自分。
いろんな次元に同時に存在している。では、本体はどれだろう。
全部が自分である
結論から言うと、全部が自分になる。どれか一つが本物で、他が偽物というわけではない。
そして、この見方を外側まで広げると、扱いが変わる。嫌いな人も、広い意味での自分の一部だという捉え方になる。
── なぜ、嫌いな人がそこに入るのか
それは、同族嫌悪だったり、自分が否定したいものを持っている人だからになる。
無関係な相手には、強い嫌悪は起きにくい。強く反応しているということは、そこに接点があるということでもある。
だから、大きな細胞の一部だと思っている、という言い方になる。切り離された他人ではなく、同じ組織の別の部分として置く。
好きになれという話ではない
これは、全部が自分の一部だから、受け入れて仲良くしろ、全てを好きになれという話ではない。
距離は取っていい。関わらない判断も普通にありうる。
変わるのは、その相手を「理解不能な異物」として扱うか、「自分の一部として見える範囲にあるもの」として扱うかだ。後者になると、消耗の質が変わる。
嫌いな人、嫌いなものの一覧を作ると、自分が何を否定してきたかの一覧ができる。
その相手を好きになる必要はない。ただ、そこに自分の情報が含まれているという事実として自分を更に深掘るツールとしての意味はとても大きい。
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