消化に、一日のエネルギーの半分を使っている── エネルギー効率という考え方
一日の消費エネルギーの、半分ほどが消化に使われている
村主の実践は、一日一食。夜だけ食べる。朝と昼は基本的に食べない。
様々な理由があるが、その代表的なものが、胃に物を入れないということだ。つまり、消化のエネルギーを使わない。一日の消費エネルギーのうち、半分ほどがそもそも消化に使われている。
そう考えると、大量に食べて、そのエネルギーの半分が消化に持っていかれるという構図は、効率として見ると相当に悪い。だから、なるべくそこを最小限にしたい、という発想になる。
── 食後のぼんやりが、なくなる
実感として挙げられているのは、この変化だ。ランチのあとに頭がぼんやりして眠くなる、という時間帯がなくなる。
結果として、一日をフルで使える。時間が節約できる、というより、一日の中で使える帯域が増えるという話になる。
もう一つの前提として、内臓を消耗品として捉える見方がある。消耗品ならば、なるべく使わないほうが長持ちするのではないか。あくまで自分なりの仮説だが。
年齢によって、必要量は変わる
若い頃はエネルギーを使いまくっているし、成長のために必要でもある。子どものうちは、一日四食でも五食でも食べて、どんどん成長すればいい。
だが、ある程度の年齢になれば、そこまでのエネルギーは要らなくなる。それでも同じ量を食べ続けるから、太っていく。
そもそも一日三食という形自体、歴史上ではごく最近のものになる。元々はそんなに食べていない。むしろ今のほうが過剰で、変な時期だと言える。
極端に振らないと、影響は分からない
この回で最も応用が効くのは、食事の中身ではなく、この実験の作法かもしれない。
自分に新たな角度の変化を起こしたいと考え、脂を中心に生きていた十年以上の慣習をやめて、数年前にベジタリアンに転向し、三ヶ月から半年ほど続けてみた。
── 結果は、「何も変わらなかった」
この結論を得るために、極端に振ってみた。
誰がどう見ても、バランスよく食べるのが正しい。普通に両方食べたらいいじゃんと、食事を共にした人には確実に全員にいわれてきた。それは分かったうえで、あえて片側に振り切る。
理由は明快で、極端にしないと検証ができないからだ。バランスを保ったままでは、何がどう効いているのかが判別できない。
そして、元に戻した理由も実務的だった。体への特段の変化がないので、好きでもないものを食べ続ける動機がなくなったということ。瞑想中の繋がり方や、日々の意識の変化において、どこか悟りに近い状態になれるんじゃないかと淡い期待を抱いていたが、特段の変化はなかったことが確認できた。外食で野菜だけの食事は選択肢が少なく、サラダはあくまでサイド扱い。もちろん更に数年やることで効果が出ることもあるのかもしれないが、一旦は肉食に戻すことした。
食事の内容そのものは、体質や生活によって適否が大きく変わる。ここで紹介したのはあくまで個人の一例であり、万人向けの方法として推奨されているものではない。持病や体調に不安がある場合は、医療者に相談したほうがいい。
取り出せるのは、二つの視点だ。一つは、自分のエネルギーが何にどれだけ使われているかという視点を取り入れてみること。もう一つは、影響を知りたいなら、中途半端に変えずに一度極端まで振ってみること。
バランスを取るのは、その振れ幅を知ったあとでいい。
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