虚次元アインシュタイン×虚次元村主悠真『虚時間の、その先へ』【虚次元対談企画 第二話 前編】アインシュタインは、虚次元をどう見るか
前回の対談から、一か月。村主は再びプリンストンの書斎を訪ねた。今日のテーマは一つ。アインシュタイン自身の研究を踏まえて、彼が「虚次元」という概念をどう評価するか、である。
机の上には、古いノートが何冊か積まれていた。背表紙に「Kaluza, 1921」とある。
第一幕 ── ミンコフスキーの ict から
アインシュタイン さて、ミスターユウマ。前回の続きをやろう。今日は私から切り出させてくれ。
村主 ぜひよろしくお願いします!
アインシュタイン 君の Z = D + iD を、私は数日間、頭の中で転がしていた。そして、奇妙な懐かしさを覚えたんだ。
村主 懐かしさといいますと?
アインシュタイン ミンコフスキーだよ。彼が一九〇八年に四次元時空を定式化したとき、時間軸を ict と書いた。c は光速、t は時間、そして頭に i ──虚数単位がついていた。
村主 はい。あれは有名な表記です。
アインシュタイン 当時、若い私はあれを「便利な計算上の細工」だと思っていた。時間を空間と同じ平方で扱うために、虚数を一枚かませる。それだけのことだ、と。
村主 でも、後に表記を変えられましたね。一般相対論では、計量テンソルを使って ict を消した。
アインシュタイン そう。あの i は、本質ではなく、座標の選び方の問題だと結論づけた。──だが、ユウマ。今回、君の話を聞いていて、私は少しだけあの日の行動について考えざるを得ないと思っている。
── 村主、息を飲む。 ──
村主 ……と言いますと??
アインシュタイン あのとき私は、 i を「消した」のではなく、「物理から追い出した」のかもしれない。本当は、 i は時間軸の側に何かを語っていたのに、私はそれを座標変換で覆い隠してしまった。
村主 先生、それは──。
アインシュタイン 待ちたまえ。早合点しないでくれ。私はまだ、君の虚次元に賛成したわけではない。ただ、ミンコフスキーの ict を、もう一度、別の角度から見直す価値はあるかもしれない、と言っているだけだ。
第二幕 ── カルツァ=クラインの第五次元
アインシュタイン もう一つ、君に話しておきたい仕事がある。これだ。
── 机の上のノートを指でつつく。 ──
アインシュタイン カルツァが一九二一年に書いた論文だ。彼は、私の一般相対論に「もう一次元」を足すと、重力と電磁気が一つの幾何学から導けると主張した。後にクラインがその第五次元を「小さく丸まっている」と解釈した。
村主 カルツァ=クライン理論ですね。後の超弦理論のもとになったという認識です。
アインシュタイン 私はこの仕事に、長いあいだ惹かれ続けた。統一場理論への執念は、晩年まで消えなかった。なぜだか分かるかね。
村主 ……分け隔てられたものを、一つの幾何で縫い直したかったのではと僕は思っていました。勝手ながら。
アインシュタイン そうだ。重力と電磁気、物質と場、観測者と世界。私は、それらを別々の言語で語ることに、生涯耐えられなかった。だから第五次元という「目に見えない軸」に、私は本気で賭けた。──そして、失敗した。
村主 失敗、と先生は言いますが、あの執念がなければ、現代の高次元物理は存在しません。
アインシュタイン 優しい言い方だな。だが、ユウマ、ここで君に問いたい。君の言う虚次元 iD は、カルツァの第五次元と何が違うのかね。
── 村主、姿勢を正す。 ──
村主 カルツァの第五次元は、空間に追加された軸です。小さく丸まっているにせよ、物理的な広がりを持つ。観測の対象になりうる。
アインシュタイン うむ。
村主 僕の iD は、空間の追加ではありません。むしろ、空間と時間の「外側」に立つ軸です。物理量を載せる軸ではなく、「まだ物理量になっていないもの」を載せる軸。
アインシュタイン ……物理になる前の、貯水池のようなものか。
村主 近いです。先生のカルツァ的な五次元が「まだ見えていない物理」だとすれば、僕の iD は「まだ物理ですらないもの」です。
アインシュタイン それは、形而上学に近づくな。
村主 はい。だから僕は、これを物理理論だとは主張していません。ある種の哲学であり、思想の一種とした方が、各業界にも受け入れて頂けるかなと思っています。
第三幕 ── ボーアとの長い論争
アインシュタイン ところで、君は私とボーアの論争を知っているね。
村主 もちろんです。EPRパラドックス、隠れた変数、「神はサイコロを振らない」。何十年にも及んだ論争。
アインシュタイン 私は最後まで、量子力学は不完全だと主張し続けた。観測されるまで状態が決まらない、という考えに、どうしても馴染めなかった。私にとって、月は、誰も見ていないときも、そこにあるべきだったんだ。
村主 有名な比喩ですね。
アインシュタイン だが、君の話を聞いていて、私は奇妙なことに気づいた。──もし君の iD が本当にあるとしたら、ボーアと私の論争は、別の決着を迎える可能性がある。
── 村主、前のめりになる。 ──
村主 聞かせてください。
アインシュタイン ボーアは「観測するまで決まらない」と言った。私は「観測しなくても決まっている」と言った。我々は、同じ平面の上で殴り合っていたんだ。──だが、君の虚次元を採用するとこうなる。「観測しなくても、虚次元側では決まっている。実次元側に降りてきた瞬間に、観測可能になる」。
村主 ……はい。
アインシュタイン これは、私の実在論と、ボーアの確率論を、両方とも救う構造だ。少なくとも、論理的には。
村主 先生、それを言っていただけるとは思いませんでした。
アインシュタイン 勘違いしないでくれ。私は「論理的には」と言った。物理として認めたわけじゃない。物理は、観測にかかってこない概念を入れた瞬間に、形而上学に堕ちる。私はそれを警戒している。
── 少しの沈黙。 ──
村主 ……先生。一つだけ、反論させてください。
アインシュタイン どうぞ。
村主 先生が一九〇五年に光量子仮説を出されたとき、それも当時は「観測にかからない概念」でした。光が粒だなんて、誰も見たことがなかった。先生が座標を引いたから、観測できるようになったんです。
── アインシュタイン、しばらく村主を見つめる。それから小さく笑う。 ──
アインシュタイン ……手厳しいな。私自身の人生で、私を殴ってくるとは。
村主 敬意の裏返しであり、恩返しです。
アインシュタイン 分かっているよ。
後編に続く。
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