「直感」と「ひらめき」の違いを超えて── 立ち上がりが、気づきに先行するという話
二つの違いは、どこにあるのか
「直感」と「ひらめき」の違いは、脳科学の文脈ではこう整理されている。
ひらめきは大脳新皮質の働きで、思いついた後に理由を説明できる。直感は線条体の働きで、本人にも理由がわからないが漠然と確信できる。
もちろんこれは脳科学的には正しい整理ではあると思うが、この違いを脳の部位の違いとして語っているかぎり、もっと大事な共通点が見えなくなる。
両者に共通するのは、気づきが立ち上がりに先行していない ということだ。
能動的な思考と、その反転
主体が志向を向ける前に、すでに何かが完了している
通常の能動的な思考では、順序はこうなっている。
主体が「これを考えよう」と志向を向ける。その志向に対して、対象が現れる。志向は対象の捕捉に先行している。
しかし直感やひらめきにおいては、この順序が反転している。
主体が「これを思いつこう」と志向を向ける前に、すでに何かが立ち上がっている。そして、立ち上がりが完了した後に「これが立ち上がっていた」と気づく。気づきは、立ち上がりの開始ではなく、その完了に対する事後的な認知 なのだ。
「起こり」という構造的事象
直感もひらめきも、同じ現象の異なる現れ方にすぎない
この事後的な構造は、直感とひらめきだけの話ではない。
長く考えていた問題の答えが、別のことをしている最中に不意に降りてくる。発話の途中で、予測していなかった語がふっと到来する。考えあぐねていた方向が、いつのまにか確定している。
これらの局面で起きているのは、すべて同じ構造である。立ち上がりが先に成立し、気づきが後からそれを認知する。
この構造的事象を、「起こり」と呼ぶ。直感もひらめきも、起こりの異なる現れ方の一つとして位置づけられる可能性がある。
思考とは、取り出すことだけではない
緩めた瞬間に、向こうから到来する
起こりが教えてくれる重要なことがある。それは、思考のすべてが能動的な取り出しではないということだ。
私たちは、考えるとは「取り出す」ことだと思っている。だから「もっと頑張って考えよう」「もっと集中しよう」とする。
しかし、本当に決定的な気づきの多くは、能動的な取り出しの結果ではない。それは、こちらが取り出そうとする姿勢を緩めた瞬間に、向こうから到来する。
「考え抜いたら答えが出た」と感じる経験の多くは、実は「考え抜いている間に、別のところで立ち上がりが完了していた」だけかもしれない。
受け取ること、という思考の様式
到来したものを、受け取る
直感とひらめきの違いを語るとき、脳科学は両者を「思いつき方の違い」として整理する。
しかし現象学的に見ると、両者にはより深い共通構造がある。主体の能動性に先立って、すでに何かが完了している という構造だ。
考えるとは、取り出すことだけではない。
到来したものを、受け取ることでもある。
直感もひらめきも、その「受け取り」の異なる現れにすぎない。
↓村主第二論文『起こりの構造論』はこちら↓

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