会社を売ることは、裏切りではない──出口が実在するかどうかという視点
売却という言葉に、勝手に貼られているもの
日本では、会社を売ることに独特の感情が乗る。手放した、諦めた、逃げた、捨てた、金に換えた。創業者は死ぬまで会社を持ち続けるべきだという前提が、どこにも書かれていないのに共有されている。
この前提は、経営を良くするどころか、判断を一つ遅らせる。売却を検討することさえ後ろめたくなり、検討しないまま数年が過ぎ、気づけば売れる状態でもなくなっている。
出口がない事業で、最初に固まるのは経営者
出口が想定されていない事業は、辞められない事業になる。辞められない人は、新しいことを試せない。失敗したときに戻る場所がないからだ。
結果として、その経営者は最も保守的な選択を続けることになる。守っているように見えて、実際には可能性の空間を毎年少しずつ閉じている。
動けない状態が長く続くと、判断の基準も変わる。何をすれば伸びるかではなく、何をしなければ壊れないかで考えるようになる。
社員は、降りられない船に乗せられている
出口のない会社では、社員の選択肢も同時に狭まる。会社の外に価値が伝わる形になっていないから、そこを離れると評価がゼロに戻る。
離れられない人の忠誠心は、忠誠心ではない。移動できない状態を、そう呼び替えているだけだ。
逆に、外に出ても通用する人が残っている会社は強い。残る理由が、諦めではなく選択になっているからだ。
出口の実在性という考え方
投資や支援の判断で重要視している指標の一つに、関わっている人が自分で判断し、方向を変え、必要なら離れられるかどうかという点がある。これを出口の実在性と呼んでいる。
出口が実在していれば、そこに残るという選択は、はじめて本当の選択になる。残ることを選び直せる場所と、残るしかない場所は、外から見ると同じ形をしているが中身は全く違う。
出口を設計すると、事業そのものが良くなる
売れる状態を作るという作業は、そのまま経営を整える作業になる。属人性を減らし、数字を説明可能にし、契約と権利を確認し、誰が引き継いでも回る形にする。
売らなかったとしても、この工程を通った会社は強い。出口の設計は、売却の準備であると同時に、事業の健康診断だ。
誰に渡すかまでが、設計に含まれる
出口があることと、どこにでも渡していいことは違う。事業には必ず関わってきた人の時間が積まれている。それを次にどの座標へ置くのかまで決めて、はじめて設計が終わる。
出口は、終わりのために作るものではない。
関わる全員が、いつでも選び直せるようにしておくための装置としての価値だ。
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