「言語化できない」ことがなぜ存在するのか── モヤモヤの手前にある、もう一つの領域の話
「うまく言語化できない」
会議で意見を求められたとき。誰かにこの気持ちを伝えたいとき。本を読んで何か掴んだはずなのに、それを誰かに説明しようとしたとき。
頭の中にあるはずなのに、言葉にならない。
このモヤモヤは、なぜ起きるのか。
そして、より深い問いがある。そもそも「言語化できないもの」は、なぜ存在するのか。
「言語化できない」には二つの層がある
技術の問題と、構造の問題
「言語化できない」と感じる経験には、実は 二つの層 がある。
ひとつは、言葉を選ぶ技術の問題。頭の中に感覚はあるが、それを的確に表す語彙が見つからない。これはトレーニングで改善する。日記を書く、人に説明する、A4一枚に書き出す──既に多くの本やメソッドが提示している領域だ。
もうひとつは、まったく別の層にある。
それは、そもそも言葉になる手前にしか存在しない何か がある、という事実だ。技術の問題ではない。語彙の問題でもない。構造的に、言葉にならない領域 が、私たちの認知の周りに広がっている。
モヤモヤとして自覚することすらできない領域
「知らない」と名指しできた時点で、もう遅い
普通、「言語化できないこと」と聞くと、人は二種類のものを思い浮かべる。
ひとつは「まだ言葉にしていない感覚」。これはモヤモヤとして自分の中に既に在って、頑張れば言葉にできる。
もうひとつは「未知のもの」。知らない事実、まだ学んでいない概念。これも調べれば知ることができる。
しかし、その いずれでもない領域 がある。モヤモヤとして自覚することすらできない領域。「知らない」と名指すことすらできない構造。
なぜなら、「モヤモヤしている」と感じられた時点で、それは既に意味の領域に半分入っているからだ。「知らない」と名指せた時点で、それは「知られうるもの」のリストに加わっている。
その 手前にある ものを、どう扱えばいいのか。
Z = D + iD という記述
氷山の海面下は、外ではなく内側に折り畳まれている
村主の枠組みでは、対象の存在を次のように記述する。
Z = D + iD
ここで D は、現時点で意味を持つ構造の総体。iD は、意味として立ち上がる以前の構造的余剰。両者は独立な二つの次元として共存している。
「言語化できない」と表現されているもののほとんどは、実は D の側にある。語彙がまだ追いついていないだけで、意味の領域には既に入っている。
それに対して iD は、「言語化できない」とすら表現できない領域 を指す。氷山の海面下が「氷山の外」ではなく「氷山の一部」であるように、iD は対象の内側に折り畳まれた未分節の層として存在している。
なぜ、この区別が大切なのか
「言葉にできないもの」を無いことにする時代への問い
なぜこの区別が大切なのか。
それは、現代があらゆるものを 言語化・データ化・可視化 することに走っているからだ。「言葉にできないものは、無いことにする」という暗黙の前提が、いつの間にか共有されている。
しかし現実には、私たちが何かを思考するとき、何かを創造するとき、何かを生きるとき、その営みは常に まだ意味になっていないもの と接している。
「言語化できない」と感じる瞬間、私たちはこの領域の存在に触れている。
それは、能力の問題ではなく、構造的に言葉にならない領域の話だ。
↓村主第一論文『拡張虚数理論』はこちら↓

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